日本はここからが面白い!日本経済史と飛躍への活路① ~経済大国の軌跡 歴史から学ぶ未来へのヒント~

現代は「モノが売れない時代」と言われるほど、従来のビジネスモデルが通用しにくくなっています。そのため、今後のビジネスモデルはどうあるべきか悩んでいる経営者の方や、ご担当の方もいらっしゃるでしょう。

今回は「日本経済史と飛躍への活路」と題しまして、マクロ経済学から解説して理解を深めていただけるコラムをお送りいたします。まずは前編、日本経済の変遷についてです。

新しいやり方を考える上で重要なのは、過去から学ぶことです。現代にマッチしたビジネスモデルを構築したい方に向けて、戦後からの日本経済の変遷とビジネスモデルをわかりやすく解説します。

新規事業のアイデアを探している方も、ぜひご覧ください。

Contents

日本経済の変遷

近代の日本経済の流れを把握するには、戦後からの変遷を理解することが重要です。そして、戦後の日本経済の変遷は以下の4つの時期に区分できます。

  • 戦後の復興から高度成長期へ(1945年~1955年)
  • 高度成長期から安定成長期へ(1960年~1974年)
  • 安定成長期とバブル期(1974年~1990年)
  • バブル崩壊による長期低迷期(1990年~)

各時期の主要な出来事は以下のとおりです。

4つの時期における日本経済の変動を視覚的にわかりやすく図示したのが、以下の東証一部の加重平均指数の推移です。※加重平均指数とは、構成銘柄の時価総額合計を基準時点の時価総額合計で割った値を指します。

出典:SBI証券「新元号決定!「昭和」と「平成」の振り返りと「令和」相場を読む!

高度成長期の1960年(昭和35年)ごろは急激に上昇しており、反対に失われた30年と呼ばれる近代はほぼ横ばいの状態です。上図は、その時代の日本経済の勢いを表していると言っても過言ではないでしょう。

ここからは、各時代の特徴やビジネスモデルをわかりやすく紹介します。

戦後の復興から高度成長期にかけてのビジネスモデル

戦後はすべてのモノが不足し、資源を輸入に頼らざるを得ない状況でした。しかし、外貨が不足していたことから、輸入できる量に限りがありました。

そこで、1946年に当時の吉田内閣のブレーンであった有沢広巳氏が「傾斜生産方式」を考案します。

傾斜生産方式とは、限られた輸入重油を鉄鋼業に回して鉄鋼を増産、増産した鉄鋼を炭鉱業に投入して石炭を増産、さらに増産した石炭を鉄鋼業に回すことで鉄鋼と石炭の循環的拡大を図る政策です。

このようにして、貴重な外貨は国内で作れないモノのみに集中させ、それ以外のモノは国内生産で対応しました。

傾斜生産方式は、吉田内閣の後の片山内閣や芦田内閣においても引き継がれ、戦後からわずか10年程で戦前の経済規模にまで回復しました。

高度成長期と安定成長期のビジネスモデル

高度成長期と安定成長期における経済成長率は以下のとおりです。

高度経済成長期が年平均10%程度、安定成長期が年平均4%程度と高い水準で日本経済は力強く成長していきました。

この時代では、日本製品の品質向上や量の拡大が顕著となり、国内外で日本製品の需要が高まりました。しかし、貿易赤字が拡大したアメリカが対日批判を繰り返したため、1985年にアメリカの貿易赤字の削減を目的としたプラザ合意を締結します。

バブル期のビジネスモデル

プラザ合意後、日本では急激な円高に対して低金利政策が実施されました。すると、金融機関からの過度な貸出により市場に資金が溢れ、不動産・株式などが高騰するバブル景気となります。

バブル期の日本では、「世界1位の日本経済」や「21世紀は日本の時代」というような陶酔感が漂っていました。事実、1989年の世界時価総額のトップ10に7社の日本企業がランクインし、5位までを日本企業が独占していました。

バブル期の日本経済の特徴は、製品を作れば作るほど売れたことです。そのため、大量生産・大量消費の時代となり、製造業では効率的な生産体制や管理体制、組織体制が構築されます。これが以下のような日本型ビジネスモデルが出来上がった要因となりました。

日本型ビジネスモデルの特徴

体制トップダウン型
行動ルールありき
マネジメント統制管理型
コミュニケーションホウレンソウ
情報共有逐次共有
風土横並び主義 失敗が許されない
学習組織内での経験学習

物価と給料が上昇する好景気であれば、このようなビジネスモデルは最適と言えます。管理者は「指示命令型マネジメント」や「業務監視型マネジメント」をすればいいのと、労働者側は言われたことをきちんとこなしていれば製品が売れて、給与も上昇したためです。

しかし、現在では時代背景の違いから旧来型のビジネスモデルは通用しにくくなっています。それなのにバブル期の成功を過信し、現在でもこのビジネスモデルに頼ってしまうと様々な弊害が出てきてしまうのです。

バブル崩壊後のビジネスモデル

バブルが崩壊するとモノが売れなくなり、日本経済は継続的に物価が下落するデフレの時代となりました。1999年に消費者物価指数はマイナスに転じ、その後10年以上にわたってゼロ付近を推移しています。※消費者物価指数とは、消費者が購入するモノやサービスなどの物価の変動を把握するための統計指標のこと。

出典:総務省統計局「デフレの時代から景気回復へ

左のバブル期と比較すると、デフレ期は消費者物価指数が著しく低下しています。そして、デフレ期の物価の下落は賃金の低下も引き起こしました。

出典:総務省統計局「デフレの時代から景気回復へ

※サービス指数とは、企業間で取引されるサービスの価格に焦点を当てた物価指数のこと。

グラフから、デフレ期の賃金は前年よりも低くなる状態が続いていることがわかります。このようなデフレの影響で、日本はデフレスパイラルに陥ってしまいます。

日本ではこのデフレスパイラルが長く続いたことで、耐えられなくなった企業が倒産するなど、経済活動が停滞して経済規模が縮小していきました。

すると、このような背景から企業は、利益を確保するために以下のような「何かを削減しなければ」というマインドを持ちやすくなります。

  • 仕入れ原価削減
  • 間接費の削減
  • 外注比率削減
  • 販管費削減 等

その結果、デフレ時代のビジネスモデルは品質の高さに加えて、価格を重視する傾向が強くなりました。他にも、商談や会議において「どのくらいコストがかかる?」「どのくらい利益が出る?」といった発言や「ムダ」という言葉を多用するなど、全体的に後ろ向きな行動が目立つようになりました。

GDPから見る日本の変遷

日本経済の変遷を別の角度から見るために、主要国の名目GDPの推移を紹介します。

参考:National Accounts – Analysis of Main Aggregates (AMA)

1990年以降、日本の名目GDPは5兆ドル前後で推移しています。その間に、2010年には中国に抜かれ、2023年にはドイツにも抜かれてしまいました。

2024年時点で日本は世界4位の経済規模となっており、世界が右肩上がりに成長する中、次第に後退しているのが現状です。さらに、2025年にはインドにも抜かれる見込みです。

このように、日本経済が後退している要因は、1人あたりのGDPが長期間横ばいを続けていることが挙げられます。1995年には世界3位を誇っていた日本の1人あたりのGDPですが、現在では世界32位で多くの国に抜かれています。

出典:世界経済のネタ帳「世界の一人当たりの名目GDP(USドル)ランキング

また、1991年度から2022年度の経済成長率の平均は0.8%で、2024年1四半期の実質GDP成長率がマイナス2.0%(年率換算)となりました。

このような日本経済の低迷を象徴しているのは、世界の時価総額トップ10です。1989年には上位10企業のうち7社の日本企業がランクインしていましたが、2023年では1社もランクインしていません。

出典:東京新聞「トップ10に7社→最高で39位…日本経済「失われた30年」は時価総額の世界ランキングでもはっきり

ここで「GDPを必ず上げなければならないのか?」と疑問に思う方はいませんか。仮に名目GDPが下がってしまうと、社会保障費や財政が立ち行かなくなる可能性があります。そのため、1人あたりのGDPを高めて、名目GDPの上昇を図る必要があるのです。

まとめ

日本は戦後からバブル期まで右肩上がりで成長しましたが、1990年以降は横ばいを維持しています。この間に世界は成長を続け、名目GDPや1人あたりのGDPで多くの国に抜かされている状態です。これが日本でビジネスが難しくなっている要因と言えるでしょう。

そこで次回は、日本企業がとるべき戦略と当社が考える高付加価値化についてお届けします。